私の考える 「意拳」
文: 小田俊哉
其の一 「意拳」 を始められる方々へ
意拳を学ぶものは多いが、意拳の修行に耐えられるものは多くはいない
と聞いています。 理由は明らかではありませんが、私の考えでは、 「意拳
の哲理」を理解せずに修行を続け、成果を見ることなく、道半ばで諦めてし
まうからではないかと思われます。しかし、苦心(拳学であるがゆえの学習)
して椿功を続ければ、予想外の成果をおさめることができるのです。
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「体が鋳物の如く、体に鉛を注いだが如く、筋肉が一塊の如く、
毛髪が戟(武器の一種)の如く」
この四つの感覚が、意拳に言う 「四如の境地」です。 この「四如の境地」
が中国武術を究めるための前提条件であり、「四如の境地」 に達しないま
まの拳法修行は、ただ踊りを踊っているに過ぎません。
「四如の境地」 とは、自発的に形成された体の中に潜む 「内剄の力」 の
顕れであり、これを得るために、長い年月の修行を必要とします。
この 「内剄の力」 を備えて初めて、意拳の拳術を学べるスタートラインに
立ったと言えるのです。 この「内剄の力」を身に付ける方法を誤る(哲理を
理解しないまま修行を行う) 事を、創始者である王氏は 「石の卵を抱えて
夜明けを待つようなもの」 と揶揄しています。
◇ ◇ ◇
四如の境地に近づくと、からだにさまざまな変化が起きます。 身体は機敏
となり、排泄作用 (毒素を自身の力で出す事も含みます) が高まり、今まで
簡単に罹っていたような 「病気」 を寄せ付けません。 気がつけば、いつか
らこのように丈夫になったのであろうか、と不思議に思うほどです。
外へ出ると常に清清しい大気が体を通るような心地よさを感じ、「大気との
一体感」 を味わうことが出来るのです。 体の状態が心身ともに好転する事
で、ますます「意拳」 の稽古に惹かれてゆくようになります。
「家に彼女を尋ねること千回に及び、日暮れに返り見れば、
その人は灯火の灯る欄干にいる」
意拳を習うことはまさにこのようなもの、と王氏は語られています。
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「心理的なものは生理に作用を及ぼし、
生理的なものは心理に作用を及ぼす」
意念を持つ事による初心からの修行は、多くは水分で形成された人体に、
少なからず好影響を与えます。 これは現代の免疫学における、ストレスが
人体に与える研究結果とほぼ合致しており、これが意拳が 「保健」に役立
つ所以で、中国の各病院において気功治療に用いられている理由です。
近年、高校の授業にも登場するようになった「水の結晶」の話や、ストレス
が免疫系に与える影響などの仕組みを、当時の王氏が知っていたとは考え
にくい事ですが、驚くことに「意拳論」 の中に、意念を持つことよる精神作用
がはっきりと書かれています。
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「意拳」 を続けているのに体調 (心身両方の状態を指します)が思わしくな
い、好転しない、という人がいたら、以下の事柄を見直してみるべきでしょう。
@やり方そのものが間違っていないか。
A生活習慣に大きく見直すべき点がないか。
B「重篤な疾患」が潜んでいないか。
心身に変化が起きないようであれば、急いで先立ちの 「教え」 を請う事、
何故なら「石の卵」はいくら温めても孵(かえ)ることは無いからです。
つづく